心に刻む

1983年「銀花コーナー新宿」で初個展を催してから2014年の「銀座ギャラリーハウス中澤」で終えるまで、作家Aは東京での個展を毎年一、二回続けました。特に2002年山内達雄が死去後は生活の為必要な個展でした。来訪者に進歩を観ていただきたく、新作を展示することが自分に課する義務と信じて対応してきました。その頃、私のような未熟者ではなく、精神のバランスのとれた暖かい印象のМさんにお会い出来ました。此度「現在どんな状態であっても自分自身と向き合った時、私の人生はこれでよかったと納得して終わらせることが、とても大事なことではないかと此の頃思うようになりました。」と九十三才のお便りが届きました。生きる勇気をいただいたようで励まされています。

大晦日

寅の年も残り少なくなって参りました。大島窯の店も昨日が年内最終日でした。今年も島の藤田商店の奥様手製のお飾と一緒に兎たちと新年のディスプレイをすることができました。松山の通りも久しぶりに帰省客で賑やかな年末となっていました。今年は続くコロナにウクライナと滅入ることが多い1年でした。来年は明るさの戻る年になりますように。今年もありがとうございました。皆様、どうぞよい年をお迎え下さい。

 

新関公子さん

芸大生の頃、芸術学科のクラスには二人しか女子学生がいなく、やきものやになった作家Aと、芸大教授から美術史を続ける新関さん、仕事が違っても励まし合う二人です。岩波書店の「図書」と云う月刊誌に秋ごろから東京美術学校の歴史を西洋と日本の出会いと葛藤という観点から連載することになり準備中と、以前お便りをいただいていました。12月23日、第一回が出来たと送ってきました。「15回位書く予定で終わるまで生きていなければ!」とありました。論を書き上げるには何より体力がいります。作家Aも学生時代、一年以上かけてグロピウスのバウハウスを卒論のテーマにし、提出時へとへとにくたびれ果てたことを思い出しました。新関さん、健康に気を付けてがんばって。

かしこいうさぎ

此度の「干支展・卯」では、うさぎを飼っている人が何人かみえました。

Tさん、子供の頃学校の先生にならってうさぎを飼っていて、そのうさぎは犬のように散歩の時ついてきたのだそうです。その方は、「僕がうさぎが好きなことを話します。」と言って語り始めました。接客をしながら、妙に懐かしいような心地よい時間を過ごしました。

「うさぎの印花干支鉢」これから年内最後の窯に入れます。

2022年の紅葉

我窯では12月に入ってかえでがオレンジ色に紅葉しています。連立するかえでの中で、特に鮮やかに赤く紅葉する大木がありみとれてしまいます。ところで先頃、遠縁の書道家から「晏如(あんじょ)」と云う言葉が届きました。(安らかで落ち着いた)の意で、来る年が争いなどなくと、言葉が添えられていました。その時にこそ出会いたい紅葉の美しい一シーンです。

うさぎの記事

先日の「干支展」は、会期中に掲載された愛媛新聞の記事を見て来場される方も多かったです。残念ながら昨年から我が家には新聞がこなくなったので(「新聞」)、記者さんが届けてくれました。ネットもよいですが、紙の媒体の方が落ち着きます。

現在、年内最後の窯焚きにむけて準備中です。

 

「大島窯 干支展・卯」⑪

本日で今年の「干支展」も無事終了しました。

会期中続けて参りましたブログの「今日の兎」。

トリはこの方。

兎年の作家Aです。

 

 

今回の展示会では、お人形をひとまとめにしたコーナーを作りました。

仕事場やら倉庫でお人形を探していると、忘れていた懐かしい子がでてきて、

改めて作家Aがしてきた仕事の量を思い知るところとなりました。

 

火曜日の愛媛新聞に「干支展」の記事が掲載されたこともあり、兎年生まれの方がたくさんいらっしゃいました。作家A共々、来年が兎の皆様に幸多い年となりますように。