
朝倉窯から大島窯に移窯した当時、山内達雄ともみじ林を作ろう、ともみじの木々を移動しました。此度、巳の干支展を催すにあたり、温暖化の季節の変化でもみじ林は十二月に色付きました。会場でもみじが短かった秋のことを話しかけています。
「大島窯干支展・巳」
~12月20日(金)
am10:00~pm4:00
朝倉窯から大島窯に移窯した当時、山内達雄ともみじ林を作ろう、ともみじの木々を移動しました。此度、巳の干支展を催すにあたり、温暖化の季節の変化でもみじ林は十二月に色付きました。会場でもみじが短かった秋のことを話しかけています。
「大島窯干支展・巳」
~12月20日(金)
am10:00~pm4:00
酷暑の日々が過ぎかけています。酔芙蓉は八月、九月に咲く花ですが、今年は十月になっても咲いています。驚きました。温暖化による季節の変化が自然の営みを変えています。こんな日々ですが、健康第一でがんばりましょう。
新しく築窯した大島窯の登り窯では、薪を投入し始める一の間を陶彫の場にしました。窯詰めの場としては棚組みが固定されていないので自由な空間があり、炎のまわり具合を工夫できました。
大島に窯を新たにしてから、窯の仕上がりを把握するまで一苦労しました。大きな原因は、朝倉窯の登り窯が粘土でできたとんばりで作られたものに対して、大島での新たな登り窯は耐火レンガが使われたことです。炎の雰囲気が硬質になったように感じています。
陶器は総合的に炎が創出したものです。作者は窯の炎を想定しながら作品の置き場所を決め、セッティングするところで直接の作業は終わります。最終的な仕上がりは窯の炎の作業次第です。
朝倉窯の「3の間」の炎から「いぶいぶしい上品なやさしさ」が生まれました。父・故太田忠が属した初期の新制作協会絵画部の猪熊弦一郎先生や小磯良平先生時代に感じた美意識、芸大同期生の故伊藤廣利さん、夫・故山内達雄などにも感じる美意識です。
作家Aが携わった二つの窯(朝倉窯、大島窯)は、ほぼ同型で三室半の構造です。朝倉窯では、三つ目の部屋(三の間)が陶彫に最適でした。大島窯の場合、炎の状態を決めかね何度か焼成を試みた後、一の間に落ち着きました。振り返ると、朝倉窯の三の間は安定した好状態の炎との出会いができ、陶彫を発展させてくれて幸運でした。
大石静さん脚本のℕHK大河ドラマ、「光る君へ」を作家Aは興味を持ってみているところです。平安時代の伝達方法は、限られた階級の人達だったとはいえ、美しいかな文字と漢文。我々はSNS時代。人と人との交わりの濃い情の表現が、紙文化に深く根差していることに改めて気づかされています。
創ることが生活になっている作家Aにとって、新聞の「声」欄を読むたび教えられることが多いように思います。中学三年生の国語の試験問題、「フィルターバブル現象」という言葉について知ったことも、私には今の世情を識る一助になっています。
我庭のエビネランの群生、今年は花つきが悪く気候のせいかと案じられ、山を歩いてみました。白い卯の花が咲き乱れ、ホタルブクロの色どりを目にして清々しい空気にほっとしたところです。
「野の恵み」