我が家の愛犬、秋田犬の芙音のペットロスから始まった象のシリーズ、「響き」。
この「響き」は「古き都の媛皇子」の友達です。
我が家の愛犬、秋田犬の芙音のペットロスから始まった象のシリーズ、「響き」。
この「響き」は「古き都の媛皇子」の友達です。
今年届いた年賀状。「もう東京で展覧会はなさらないのですか。私は春、本を一冊だせるかも、生きている限り仕事しましよう」とのお便り。かって東京藝術大学藝術学科に二人の女学生として学んだ私たち。いつも励まされています。元気なのでがんばります。
亡き父、太田忠は、大山にスケッチにスキーで出かけることが多く、一時雪景がテーマだったこともあります。「雪の忠さん」と呼ばれていました。降雪で町が白く覆われると、家の室内はストーブなどで雰囲気が暖かさを増して明るくふんわりしたものになったものです。
大島窯は三月初め催す展示の仕度をしながら、登り窯の準備に取り掛かっているところです。作家Bが掃除中の登り窯の奥から拾い出してくれた花入れです。
中国山地の盆地育ちの作家Aは、十数年の東京生活を除いては海辺の愛媛県に暮らし
ています。広島県三次市、川に囲まれた霧の海の山里は忘れがたい記憶です。
以前、遠路、我窯まで訪ねて下さった大学名誉教授で文学博士のHさんからのお便り。広島県立美術館50周年記念セレクション展で5000点の所蔵作品の中から秀作として父の作品も選ばれ拝見しましたとありました。彼女は広島県立美術館の学芸員在職中、収集の苦労を重ねた人です。50周年の歩みは感無量と。作家Aの芸大時代の後輩で浅からぬご縁のHさんの気持ちは卒直に伝わってきました。過って新制作展で開催された死後数年後の亡父の遺作展では、質の高かい作品集めが、一人の作家の人生を表現してあまりあるもので、今もその会場が思いだされます。歴史のふるいに掛けられ遺されていく作品の一つに亡き父の作品があることは嬉しくおもいます。
猪の母親に、くっついて歩く子供達は瓜模様で四ケ月の間、微笑ましいです。可愛らしい感じをピンク柄と唄う姿勢に託してみました。寛ぎが拡がると嬉しいです。
七月の豪雨直前、思いきって剪定した椿の木(「剪定」)、こんなにも元気によみがえりました。
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一ヶ月前、なくして探しまわった挙句、ほぼ諦めていた眼鏡発見。(「おーい、メガネさん」)あろうことか、毎日使っている仕事机の下にありました。化粧釉藥の使用の為、バケツを動かすことになり、その空所に鎮座。驚きました。ラッキーです。
個展は、グループ展などと異なり、自分の仕事を一望できるので次の仕事へ向けての手がかりを探すことでもありますが、反省の場です。作家Aは東京を拠点に毎年三十回続け、繰り返してきました。この度の作家Bの個展中は、自分の時以上に一喜一憂しました。無事に終わりましたことを皆様方にお礼申し上げます。これからもよろしくお願いします。