芙音③

 

 

サッカー大好きで見かけよりは、はるかに繊細な人であり、作家Aに異質な文化を教えてくれた山内達雄は2002年に亡くなりました。次に会う時はフネの其の後を伝えなければなりません。フネは5年後の13才で死にました。キラキラしたあの頃の生活、その後、作家A,Bは目の前のやきもの生活に唯々専ら没頭しています。フネの思い出は豊かで、いわゆるペットロスですね。おっとりした大きな感じが象に共通しているようにも思え、象「響き」の連作を創り始めました。

 

 

 

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芙音②

 

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フーちゃんは性格いたって温厚。何時も「どこにおるん?どこにおるん?」と主人を目で追い求めて安心するタイプ。仕事で長期の留守の時も窓辺でずっと待ち続ける悲しくなる程の忠義者。さかりのときだけは性格が一変し主人などなんのそのになりましたが、それ以外は主人しか見えない一途な犬でした。少し大きくなってからは一か月に一度、ひきつけを起こすてんかん持ちとわかりました。獣医さんからは短命と言われましたが、山の中でストレスが少なくてすんだのか、てんかん症状も思ったよりひどくならずにすみました。仕事の粘土に始まり家中に犬毛をまき散らし、唯一のクーラーを独占しながら愛されました。それでも窯元の犬らしく器物のあるところでは大きな体を縮めるようにそっと足を踏み出すような子だったので陶器が壊れるようなことはありませんでした。

 

 

 

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芙音①

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山内達雄は大の動物好きで芸大時代、隣の上野動物園に通いつめて単位をなくす位は平気な人でした。作家Bは「獣医さんになったらよかったんじゃない。」と言いたくなるほどの世話好き。作家Aはこの二人に比べるとどこにでもいる普通の人。

 

 

 

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この家へ生後三か月の秋田犬(雌)がきました。1995年、大島へ窯を移して直ぐの頃です。名前は通称フーちゃん。フーテンの寅さんからではありません。船で来たのにかけて、初秋の芙蓉(ハスの花)の芙と音の調べと云うかぐわしいれっきとした漢字名をつけました。

フーちゃんは13年間の生涯で30kgは優に超えるでっかさになっても作家Aのベッドで共に寝ていました。しつけは夫と作家Bがしていたので、フーちゃんにとって作家Aは怒らない気楽な人だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

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春蘭

この季節、春蘭は本庄の山で時折見かける花です。春蘭の種類は日本産、台湾産、中国産、各々多種多様です。本庄の山で目にする春蘭は野生のせいか土壌のせいか色彩が薄く珍しく幽玄をさそう花色です。

 

 

 

 

襖絵④

2013年にの秋に襖絵のお話をいただき、描き上げたのは2014年の六月です。

本画に入るまではスケッチ、資料集め、画材のテスト、そして本画と同寸大の紙で一度大下図を描き、構図の修正などの準備をしました。襖絵本体は四月に吉祥寺から我が家に運び込まれました。まず春・秋の四枚をかき一か月後に次ぎの秋・冬の襖と交換して制作しました。

制作中に感じた鳥のこ紙に墨が染み込んでいく感覚は今でも鮮明です。大画面に墨で大きく描くのは気持ちのよいものです。しかし墨を安易に扱うと却って下品になり難しさも感じました。陶芸もそうですが素材は大切な要素です。素材の質感を引き出す、理解するというのは私には欠けている点だったと思います。自分の絵を見るといつも反省ばかりですが、襖絵の制作は貴重な経験でした。

 

 

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「石槌山の四季」ー冬ー

襖絵③

 

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それまで私が描いていた絵は人物画です。顔などは絵具を重ねては拭いを繰り返し彫刻家が土を捏ねるようなイメージで描いていました。「伝統の踏襲ではない新しい日本画を描く」というのが学生の頃から年頭にあり,吉祥寺から襖絵のお話をいただいた時は、キャンパス地を試していました。

 

 

そういう状態だったので襖絵にそのまま自分が試していることを使う訳にはいかず、墨や胡粉ももう一度勉強し直すつもりで取り掛かりました。一番楽しいのは構図を練る作業です。四季のテーマですが部屋は三部屋です。変化のある秋を中心にしたかったので、結局夏を端よりました。左右の最初は満開の桜とその奥に見える石槌山で始まります。襖を開けるとこちらを見下ろすような石槌、赤い紅葉がちらほらと浮かび、振り返るとそこにももみじ。最後の部屋は雪の天狗岳で霊山としての石槌を表現しようと思いました。

 

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「石槌山の四季」ー秋(部分)ー

襖絵②

「四国八十八ヵ所第63番札所 吉祥寺」はJR伊予氷見駅を降りて数分の所にあります。私が依頼された襖絵は吉祥寺の檀家の方などが使う三部屋を仕切る二間半に四枚の襖、二組でした。元々制作するはずだった作家の方が他界されて、無地のままでいたところに声をかけて下さいました。私は襖絵を描いたことはありませんでしたが「勉強させて下さい。」と飛びつきました。日本画を描いている者だったら皆さん同じだと思うのですが襖絵のような大きな空間を作る仕事は願っても出来ない経験です。

住職からの要望は「テーマは石槌山の四季」、「最初の部屋の襖絵は圧迫感のない構図」という二点でした。

 

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「石鎚の四季」“春”部分

襖絵①

私こと作家Bは武蔵野美術大学で日本画を専攻しました。

卒業後も創画会に出品したり制作を続けていました。父が癌になり実家に戻ってからは陶芸と日本画制作の二足の草鞋を履くことになりました。所属していた創画会で初めて春季賞をいただいた時には闘病中の父が喜んでくれました。その数か月後に他界しましたので、少し親孝行めいたことができたような気がしています。

その後も陶芸と日本画の両立を続けていました。別の仕事をしながら制作を続けるのはらくではありません。けれどそれは当然のことと創り続けている人達が山ほどいる世界です。なんとか続けているそんな頃、作家Aが西条市の吉祥寺の位牌堂の扉の修復に伴うレリーフを制作しました。建築家、矢野真一郎さんの依頼です。登り窯の火を潜った30枚の陶板は祈りの建物の趣旨としっくりした仕上がりになっていました。

そして思いがけないことでしたが、私は住職から襖絵の制作を依頼されました。

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 吉祥寺 位牌堂扉のレリーフ