大島に窯を築いた年は渇水期で、水にはとても苦労しました。井戸水は出ず、水道もなかったので、お医者である伯方島の知人が、お薬を運ぶ人に依頼して下さり、タンクで水を届けて下さいました。恩人です。その後も水には苦労して、トイレは三段層、生活用水は山道にポンプ小屋を建てて使用しています。水道屋さんのМさん、親切な人で、事あると、「水のことですから。」と、夜間でも調べて下さいます。ありがたいです。朝倉村時代もとても感じのよい水道やさんに出会い、今でも朝倉というと、まずその方のわけへだてない親切を思い出します。