大きな台風が近づいています。
台風前は戸締りしたり片付けたりと気忙しいです。
写真を撮っている間にみるみる雨雲が。
大事になりませんように。。。
大きな台風が近づいています。
台風前は戸締りしたり片付けたりと気忙しいです。
写真を撮っている間にみるみる雨雲が。
大事になりませんように。。。
今年は温暖化を実感するような暑い夏となりました。
秋の気配を1ミリ位感じますが、まだまだ暑いです。
暑い間はネットショップでのセール品の掲載を継続します。
先週からペイディ払いの方対象のキャンペーンも始まっています。
この機会にどうぞご利用下さい。
未だガラケー携帯を愛用しているので大きな声で言えないのですが、インスタグラムにチャレンジ中です。PCからです。Facebook同様いまいちよくわかっていませんが。。
窯元ブログでこのところ、作家Aが登り窯の話を続けましたのでインスタグラムに陶彫を投稿しています。こちらものぞいていただければ嬉しいです。
ohshimagama.tama
新しく築窯した大島窯の登り窯では、薪を投入し始める一の間を陶彫の場にしました。窯詰めの場としては棚組みが固定されていないので自由な空間があり、炎のまわり具合を工夫できました。
大島に窯を新たにしてから、窯の仕上がりを把握するまで一苦労しました。大きな原因は、朝倉窯の登り窯が粘土でできたとんばりで作られたものに対して、大島での新たな登り窯は耐火レンガが使われたことです。炎の雰囲気が硬質になったように感じています。
陶器は総合的に炎が創出したものです。作者は窯の炎を想定しながら作品の置き場所を決め、セッティングするところで直接の作業は終わります。最終的な仕上がりは窯の炎の作業次第です。
朝倉窯の「3の間」の炎から「いぶいぶしい上品なやさしさ」が生まれました。父・故太田忠が属した初期の新制作協会絵画部の猪熊弦一郎先生や小磯良平先生時代に感じた美意識、芸大同期生の故伊藤廣利さん、夫・故山内達雄などにも感じる美意識です。
作家Aが携わった二つの窯(朝倉窯、大島窯)は、ほぼ同型で三室半の構造です。朝倉窯では、三つ目の部屋(三の間)が陶彫に最適でした。大島窯の場合、炎の状態を決めかね何度か焼成を試みた後、一の間に落ち着きました。振り返ると、朝倉窯の三の間は安定した好状態の炎との出会いができ、陶彫を発展させてくれて幸運でした。
子供達の陶彫はやわらかく変化のある炎の中から誕生したものです。作家Aは我窯、朝倉窯(1974年~1994年)と大島窯(1994年~)には炎の質の違いを感じています。