我窯の庭に初秋の花、酔芙蓉が真っ盛りです。
白い大きな五弁の花が、時間を経るとあでやかな紅色に染まります。
我窯の庭に初秋の花、酔芙蓉が真っ盛りです。
白い大きな五弁の花が、時間を経るとあでやかな紅色に染まります。
販売をしながら忙しく作業に明け暮れていると、安易な仕事になっていることに気付かなくなっていることがあります。東京での催しは小さなギャラリーでしたが、日頃の仕事の全体像をつかむのに好都合でした。
何時も観てくれているkさんが一枚の皿の白さに疑問を投げかけてくれました。仕事の分野は異なりますが作家の一言です。磁器と異なり陶器は白さに変化があります。その為、発色の度合いが、その皿を作る人の作品の方向づけをより鮮明にします。土質の選び方、釉の濃度、又、酸化炎で焼成するか還元炎にするかなど全てが発色の為の過程です。貴重な疑問を受けて自分の仕事の方向性を明確に表現するこだわりを出せたかな、と此度の展示のことを思い起こしています。
練り込み四方皿
私、作家Bが金彩の制作を始めてから1年近く経ちます。
今回の展示にも金彩の作品を中心に出品しました。
技術が変わると表現も変わるので、新しい文様を試しています。
金彩耳付ぐいのみシリーズと金彩小花文急須、印花文急須
金彩小花文湯呑と金彩花文皿
左から金彩花文コーヒー碗、波文龍コーヒー碗
よくお客様に「何の花ですか?」と聞かれるのですが、具体的なモチーフがあるわけではありません。
これは金彩に限ったことではありません。色の塊や線の流れ、バランスで決まります。結果として「菊の(ような)模様」、「梅の(ような)模様」が生まれています。
失敗を重ねながら続けていると、材質と図がその模様の意図するところに導いてくれるようなところがあります。大げさなことではありませんが、何か新しいものにつながらないかと試みています。
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130号F
第5回 露木恵子個展 シリーズー雲に乗ってー
院展に出品されていた日本画家露木恵子さんは、「作家の社会性」を行動で実体験され続けています。文化と福祉の結びつきを深く考えておられ、病院や福祉施設へ自作の絵画を寄贈されてきました。その寄贈先は70近くになるそうです。作品は(雲とか朝焼けとか)優しい自然が中心です。お人柄も作品に通じるものが漂ってくるのですが、時折、職人的粋さと云うものがちらつくときがあり、親しみを増します。それは、私の恩師である名著「工芸概論」などの著者、前田泰次先生が父上であること、お祖父様が横山大観時代の金工科鋳物教官、田中清次先生であったと云う環境が個性となっているように思います。
私の個展には「登り窯の子供達」の人形創りの時代から訪ねて下さっていて、干支の丑年(前田先生の干支)あたりから作品の香合に「ウチにくるかね。」と声をかけながら毎年求めていただいています。