芙音③

 

 

サッカー大好きで見かけよりは、はるかに繊細な人であり、作家Aに異質な文化を教えてくれた山内達雄は2002年に亡くなりました。次に会う時はフネの其の後を伝えなければなりません。フネは5年後の13才で死にました。キラキラしたあの頃の生活、その後、作家A,Bは目の前のやきもの生活に唯々専ら没頭しています。フネの思い出は豊かで、いわゆるペットロスですね。おっとりした大きな感じが象に共通しているようにも思え、象「響き」の連作を創り始めました。

 

 

 

s-DSCN4225 

 

芙音②

 

 s-DSCN4227

フーちゃんは性格いたって温厚。何時も「どこにおるん?どこにおるん?」と主人を目で追い求めて安心するタイプ。仕事で長期の留守の時も窓辺でずっと待ち続ける悲しくなる程の忠義者。さかりのときだけは性格が一変し主人などなんのそのになりましたが、それ以外は主人しか見えない一途な犬でした。少し大きくなってからは一か月に一度、ひきつけを起こすてんかん持ちとわかりました。獣医さんからは短命と言われましたが、山の中でストレスが少なくてすんだのか、てんかん症状も思ったよりひどくならずにすみました。仕事の粘土に始まり家中に犬毛をまき散らし、唯一のクーラーを独占しながら愛されました。それでも窯元の犬らしく器物のあるところでは大きな体を縮めるようにそっと足を踏み出すような子だったので陶器が壊れるようなことはありませんでした。

 

 

 

s-DSCN4226

 

 

 

芙音①

s-DSCN4228

 

 

山内達雄は大の動物好きで芸大時代、隣の上野動物園に通いつめて単位をなくす位は平気な人でした。作家Bは「獣医さんになったらよかったんじゃない。」と言いたくなるほどの世話好き。作家Aはこの二人に比べるとどこにでもいる普通の人。

 

 

 

s-DSCN4219

この家へ生後三か月の秋田犬(雌)がきました。1995年、大島へ窯を移して直ぐの頃です。名前は通称フーちゃん。フーテンの寅さんからではありません。船で来たのにかけて、初秋の芙蓉(ハスの花)の芙と音の調べと云うかぐわしいれっきとした漢字名をつけました。

フーちゃんは13年間の生涯で30kgは優に超えるでっかさになっても作家Aのベッドで共に寝ていました。しつけは夫と作家Bがしていたので、フーちゃんにとって作家Aは怒らない気楽な人だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

s-DSCN4221

春蘭

この季節、春蘭は本庄の山で時折見かける花です。春蘭の種類は日本産、台湾産、中国産、各々多種多様です。本庄の山で目にする春蘭は野生のせいか土壌のせいか色彩が薄く珍しく幽玄をさそう花色です。

 

 

 

 

俯瞰図⑤

 

現在の都庁ができて閉鎖した新宿銀花ギャラリーでは毎年六回作陶展を催しました。

なかでも東京で初めてとなった昭和58年9月の作陶展は台風シーズンで、初日はどしゃぶりの大雨でした。来る人はいないと思われる不運な日、猪熊弦一郎先生ご夫妻が「いい会場じゃない。」と言いながら来場されました。

丸亀市の猪熊美術館でお会いした時には「お寿司をとるからおいでよ。」と誘っていただきました。残念ながらやきものや生活で精一杯の私はお訪ねすることが出来ませんでした。

猪熊先生からは父の持っていた明るく気さくな雰囲気が重なってみえました。

 

 s-DSCN4032

新宿銀花ギャラリーでの作陶展の案内状

 

俯瞰図④

 

私が東京芸大に入学したこともあり当時芸大教授だった小磯先生にはいろいろな思い出があります。

古い記憶では我が家に滞在中の先生から「肖像画を描いてあげよう。」と言われ小学生だった私は恥ずかしくて逃げだしたのでした。結局、水彩の母の肖像画だけが残ることになりました。

このことを話すと作家Bは「もったいないことをして。。。」と言います。

 

 

s-DSCN4034

リトグラフ・小磯良平

俯瞰図③

 

父には3人の恩師と呼ぶ人達がいました。

その中の猪熊先生に当初師事していましたが、先生は東京在住だったので、三次から距離の近い神戸の小磯良平先生に師事しました。それは終生変わりませんでした。

 

 

s-RSCN3984 昭和12年頃 国鉄機関士の服装をした四人、

右から中西利雄、太田忠、猪熊弦一郎、小磯良平

俯瞰図②

 

私(作家A)の父は機関車がとても好きで、国鉄の機関士になり、蒸気機関車SL C5834を運転していました。

しかし汽車と同じ位、それ以上かな、絵を描くことが本当に好きな人でした。私は美術大学に入りましたが、父ほど絵が好きな人を知らない気がしています。私自身は絵をそっけない思いで芸術学科を選びました。父は新制作協会で何度か受賞し、松山の小茂田守介さんと同時期、新制作協会油絵部の会員に選ばれました。44才でした。機関車から見た雪の風景の俯瞰図がテーマで「雪の忠さん」と呼ばれました。

 

 

s-RSCN4018

画・太田忠