乙女の負傷

ケガ、二日目の乙女

不行跡で家猫になった玉三郎を置きざりにして、女子コンビの外出はひんぱんです。いちこは慎重派ですが、乙女はおてんば娘です。今日は腫れて血のついた前足を引きずって帰ってきました。いちこが付き添いらしく乙女を置いてまた外へとでかけました。「まむしだと大変」と思いましたが、餌を食べますので、ホつとしました。

元気になりました。

盆送りの日に

午前4時30分、何週間ぶりかの雨音。34度を超す連日の熱帯夜。

久し振りの雨のせいか木々の香りが静かに漂うようです。

初盆を迎えた作家Aの兄のこと、好んだショパンの曲が想い出と共に去来します。

 

 

「来年も来れたらいいね。」

毎年、山内家のお墓周りの草刈りをお願いしているWさんから「今だと来てもらえますよ」と電話がありました。作家Aは1人で出かけるつもりでしたが、猪、鹿、猿の出没する足場の悪い山里にあるので、もしもを不安がる作家Bが、付きそってくれました。此のところの猛暑の中、それでも清々しい山の風が横切るのを感じました。

豪雨のち晴

土砂崩れで、当吉海町でも亡くなる人が出た連日の豪雨。唯、耐える数日がすぎました。無事に晴れ間が見えて、ほっとしています。辺鄙な場所に住む我窯を心配され気遣ってくださる方々のお気持ちがありがたく、嬉しく、感謝です。

 

剪定

植物好きの山内達雄と作家A、朝倉窯築窯当時、近くの植木屋さんに立ち寄っては木々を求めたものです。大島窯に移動することになり、慈しんだ木々の移植が一大事でした。やがて大島の地に定着しましたが、此のところの気候変動の大雨で急に高木になるものもあって原始林さながら光を遮っています。鋸、植木鋏片手に思い切った刈り込みをしました。

「偶さか(たまさか)」

作家Bはこの秋9月、東京で日本画グループ「偶ーたまさか―展」に参加します。「偶さか」とは思いがけず出会うことです。昨日のこと、以前作家Aが10年程、属していたボランティア団体で出会った女性が窯を訪ねてくれました。二女の母となったMさん。私との出会いで陶芸が身近なものになったことを話してくれました。自分にとって時間の経過の一部に過ぎない当時でしたが、偶さかの出会いが新鮮な活力を甦えらせてくれました。

薪の窯④

我窯の薪窯では、「さや」を使用しませんので全体的に還元炎をうけます。それは主として棚組の前列部分で、後方には還元炎がかかりながらも酸化炎のように、やわらかい炎になっていきます。作家Aは主に器物は、練り込み技法と化粧掛けを使用。棚組の後方列に並べる食器類のダメージを少なくする為、窯詰めは、前列に壺であったり象、魚、椅子等大きさのあるシリーズ物を配列します。

「魚の筥」32㎝×17㎝×高さ20㎝

 

薪の窯③

窯の入口は1の間、高さ130㎝、2の間、3の間140㎝と人の出入りに不自由はありません。その為に創る大きさにあまり拘泥する必要がなく、子供達の大きさも、たかさ70センチから80㎝のものを窯焚きの度二、三体いれました。

(左)「古き都の媛皇子」44㎝×40㎝×高さ73㎝

薪の窯②

三室半の窯では、焼成が、ゆきわたる場所と甘い焼成に終わる場所とができます。朝倉窯では三の間、大島窯では一の間後方、そこが子供達の像誕生の場所となりました。薪の窯特有の素朴な焼き上がりから、題材は自然にそったものでした。作り手としては自己感情に無理を強いることなく子供達は土ものらしい優しい表現になりました。

「花守」13㎝×5㎝×高さ28㎝