襖絵②

「四国八十八ヵ所第63番札所 吉祥寺」はJR伊予氷見駅を降りて数分の所にあります。私が依頼された襖絵は吉祥寺の檀家の方などが使う三部屋を仕切る二間半に四枚の襖、二組でした。元々制作するはずだった作家の方が他界されて、無地のままでいたところに声をかけて下さいました。私は襖絵を描いたことはありませんでしたが「勉強させて下さい。」と飛びつきました。日本画を描いている者だったら皆さん同じだと思うのですが襖絵のような大きな空間を作る仕事は願っても出来ない経験です。

住職からの要望は「テーマは石槌山の四季」、「最初の部屋の襖絵は圧迫感のない構図」という二点でした。

 

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「石鎚の四季」“春”部分

襖絵①

私こと作家Bは武蔵野美術大学で日本画を専攻しました。

卒業後も創画会に出品したり制作を続けていました。父が癌になり実家に戻ってからは陶芸と日本画制作の二足の草鞋を履くことになりました。所属していた創画会で初めて春季賞をいただいた時には闘病中の父が喜んでくれました。その数か月後に他界しましたので、少し親孝行めいたことができたような気がしています。

その後も陶芸と日本画の両立を続けていました。別の仕事をしながら制作を続けるのはらくではありません。けれどそれは当然のことと創り続けている人達が山ほどいる世界です。なんとか続けているそんな頃、作家Aが西条市の吉祥寺の位牌堂の扉の修復に伴うレリーフを制作しました。建築家、矢野真一郎さんの依頼です。登り窯の火を潜った30枚の陶板は祈りの建物の趣旨としっくりした仕上がりになっていました。

そして思いがけないことでしたが、私は住職から襖絵の制作を依頼されました。

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 吉祥寺 位牌堂扉のレリーフ

 

 

文様①

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 山内達雄は東京芸大金工鋳金科を卒業し、後陶芸を志し砥部で修行の後、

人間国宝加藤土師萌先生に弟子入りしました。生前遺した図案のうち枝垂

れ柳文は常に使用した文様です。現在は娘(作家B)が踏襲しています。

丁度この春先は枝垂れ柳が淡緑の実に美しい頃です。

 

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蕗の子

 

私の人形創りのはじまりは道祖神でした。

緊張感ある彫刻と異なり、自然への畏敬の念が雰囲気

として素朴に表現出来たら充分満足なのでした。

蕗の子はその気持ちの裡から生まれたものです。

 

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「蕗の子」

 

越前土

 

 

先頃 Hさんから「羊年の夢追い」のような作品を創ってほしいと依頼を受けました。

人形創りはしばらく遠のいていたので新鮮な気持ちでつくれるように思われました。材料土が残っているかとその点だけが気がかりでしたが。朝倉窯(1974年~1994年)から大島窯(1994年~)へ移窯した時期、のぼり窯の器物は越前土を使用することが多かったのです。材料土は幸いにも見つけることが出来、ざっくりして、ねばりのある越前土特有の感覚に懐かしさを覚えながら創っているところです。

 

 

 

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 「羊年の夢追い」

窯の修理

 

 

我窯は朝倉窯時代から登り窯を中心にガス窯と併用して焚いていました。山内達雄亡き後はガス窯はそのままに電気炉を併用しています。0.25立法メートルのもので、当初は何度か陶和の細川さんをわずらわせたものです。何時のまにか電気炉にも慣れ、イソタップなどで修繕しながら、いたわりながら使っています。

 

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薪の支度

 

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朝倉窯時代、登り窯は達雄と共に、展示会毎に年4回は焚いていました。大島への移転後、夫亡き後は、若い人達に助っ人してもらいながら年一度焚くのが、やっとになりました。

薪は県森林連大洲から一車(4t車)運んでもらっています。大洲からこの車が山道を苦も無く到着し、限られた駐車スペースに、まるでサーカスと思わせるほどの正確さで赤松が納まるのを見届けると、何時も固唾をのむ想いで運転手さんの職人芸に目を見張ります。

 

 

ひつじ

毎年、干支は年末の稼ぎ頭です。今年の羊も好評でした。 作る方も様々な動物をモチーフにできて楽しい仕事です。しかしながら一つ一つ手びねりで作るので手間も時間も掛かります。最初の百個は羊が犬になったり熊になったりしないよう、羊の個性を指が覚えるように作っていきます。一度覚えたら時間経っても忘れないかというとそう簡単な事でもありません。なので少々多めに作って制作を終了します。今年の羊、三月を前にしてまだ求められているようです。店から在庫切れの報告が入りました。羊、最後の納品です。

 

 

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  2014年度干支置物「未」