登り窯②

 

 

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           朝倉窯時代から現在の大島窯の窯まで 窯詰め

          は全て自分でやってきました。炎の流れを想定

    しながら置き場所を決めて詰めてゆくので房が

    広いこともあってくたびれる作業です。此度は

    作家Bが要所以外の窯詰めを充分にこなしてく

          れました。その為、窯焚き後も意外に体力が維

          持できていて 助かりました。

 

 

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  (窯の神様に献杯) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登り窯①

 

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( 吉野君のバックハンド)                     

 

5月8日正午から始まり60時間かけた今年の登り窯の焼成を終えたところです。薪割り、薪の乾燥、窯詰め、窯焚き、全て皆に協力してもらってやっと焚き上げるという窯です。特に三室半の房のうち、1の間を焚く15~17時間は若い男性の助力が必要です。これまで芸大の後輩をはじめ、心ある若い青年の何人もがこの体力の必要な汚れ役の仕事に携わってくれました。四年前からは益子焼の青年達が手伝ってくれています。今年は三回目の吉野君でした。我登り窯を「(先代は)大きなものを遺されましたネ。」と目を輝かせる青年です。この言葉は窯の維持に苦労し重く感じている私の気持ちをほぐしてくれました。吉野君のプロの火入口の投入さばきはみごとで、窯の火中を確かめながら火力を落とさぬようバックハンドで薪を投入する方法を教わりました。

 

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 (作家A)

 

 

 

 

襖絵④

2013年にの秋に襖絵のお話をいただき、描き上げたのは2014年の六月です。

本画に入るまではスケッチ、資料集め、画材のテスト、そして本画と同寸大の紙で一度大下図を描き、構図の修正などの準備をしました。襖絵本体は四月に吉祥寺から我が家に運び込まれました。まず春・秋の四枚をかき一か月後に次ぎの秋・冬の襖と交換して制作しました。

制作中に感じた鳥のこ紙に墨が染み込んでいく感覚は今でも鮮明です。大画面に墨で大きく描くのは気持ちのよいものです。しかし墨を安易に扱うと却って下品になり難しさも感じました。陶芸もそうですが素材は大切な要素です。素材の質感を引き出す、理解するというのは私には欠けている点だったと思います。自分の絵を見るといつも反省ばかりですが、襖絵の制作は貴重な経験でした。

 

 

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「石槌山の四季」ー冬ー

襖絵③

 

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それまで私が描いていた絵は人物画です。顔などは絵具を重ねては拭いを繰り返し彫刻家が土を捏ねるようなイメージで描いていました。「伝統の踏襲ではない新しい日本画を描く」というのが学生の頃から年頭にあり,吉祥寺から襖絵のお話をいただいた時は、キャンパス地を試していました。

 

 

そういう状態だったので襖絵にそのまま自分が試していることを使う訳にはいかず、墨や胡粉ももう一度勉強し直すつもりで取り掛かりました。一番楽しいのは構図を練る作業です。四季のテーマですが部屋は三部屋です。変化のある秋を中心にしたかったので、結局夏を端よりました。左右の最初は満開の桜とその奥に見える石槌山で始まります。襖を開けるとこちらを見下ろすような石槌、赤い紅葉がちらほらと浮かび、振り返るとそこにももみじ。最後の部屋は雪の天狗岳で霊山としての石槌を表現しようと思いました。

 

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「石槌山の四季」ー秋(部分)ー

襖絵②

「四国八十八ヵ所第63番札所 吉祥寺」はJR伊予氷見駅を降りて数分の所にあります。私が依頼された襖絵は吉祥寺の檀家の方などが使う三部屋を仕切る二間半に四枚の襖、二組でした。元々制作するはずだった作家の方が他界されて、無地のままでいたところに声をかけて下さいました。私は襖絵を描いたことはありませんでしたが「勉強させて下さい。」と飛びつきました。日本画を描いている者だったら皆さん同じだと思うのですが襖絵のような大きな空間を作る仕事は願っても出来ない経験です。

住職からの要望は「テーマは石槌山の四季」、「最初の部屋の襖絵は圧迫感のない構図」という二点でした。

 

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「石鎚の四季」“春”部分

襖絵①

私こと作家Bは武蔵野美術大学で日本画を専攻しました。

卒業後も創画会に出品したり制作を続けていました。父が癌になり実家に戻ってからは陶芸と日本画制作の二足の草鞋を履くことになりました。所属していた創画会で初めて春季賞をいただいた時には闘病中の父が喜んでくれました。その数か月後に他界しましたので、少し親孝行めいたことができたような気がしています。

その後も陶芸と日本画の両立を続けていました。別の仕事をしながら制作を続けるのはらくではありません。けれどそれは当然のことと創り続けている人達が山ほどいる世界です。なんとか続けているそんな頃、作家Aが西条市の吉祥寺の位牌堂の扉の修復に伴うレリーフを制作しました。建築家、矢野真一郎さんの依頼です。登り窯の火を潜った30枚の陶板は祈りの建物の趣旨としっくりした仕上がりになっていました。

そして思いがけないことでしたが、私は住職から襖絵の制作を依頼されました。

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 吉祥寺 位牌堂扉のレリーフ

 

 

文様①

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 山内達雄は東京芸大金工鋳金科を卒業し、後陶芸を志し砥部で修行の後、

人間国宝加藤土師萌先生に弟子入りしました。生前遺した図案のうち枝垂

れ柳文は常に使用した文様です。現在は娘(作家B)が踏襲しています。

丁度この春先は枝垂れ柳が淡緑の実に美しい頃です。

 

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蕗の子

 

私の人形創りのはじまりは道祖神でした。

緊張感ある彫刻と異なり、自然への畏敬の念が雰囲気

として素朴に表現出来たら充分満足なのでした。

蕗の子はその気持ちの裡から生まれたものです。

 

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「蕗の子」

 

越前土

 

 

先頃 Hさんから「羊年の夢追い」のような作品を創ってほしいと依頼を受けました。

人形創りはしばらく遠のいていたので新鮮な気持ちでつくれるように思われました。材料土が残っているかとその点だけが気がかりでしたが。朝倉窯(1974年~1994年)から大島窯(1994年~)へ移窯した時期、のぼり窯の器物は越前土を使用することが多かったのです。材料土は幸いにも見つけることが出来、ざっくりして、ねばりのある越前土特有の感覚に懐かしさを覚えながら創っているところです。

 

 

 

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 「羊年の夢追い」