作家Aの練り込み技法は直線の組み合わせです。
この夏、H様がご依頼されたのは、このホームページ、ギャラリー上掲載の作品、口径33.5㎝×高さ10㎝の練り込み鉢(1993年制作)です。
現在の仕事と比べると、1993年当時の直線の組み合わせは、大きくてラフでしたので仕上げの焼成に手間取りました。反省しつつなんとか仕上げたところで、お渡し出来、ほっとしています。
販売をしながら忙しく作業に明け暮れていると、安易な仕事になっていることに気付かなくなっていることがあります。東京での催しは小さなギャラリーでしたが、日頃の仕事の全体像をつかむのに好都合でした。
何時も観てくれているkさんが一枚の皿の白さに疑問を投げかけてくれました。仕事の分野は異なりますが作家の一言です。磁器と異なり陶器は白さに変化があります。その為、発色の度合いが、その皿を作る人の作品の方向づけをより鮮明にします。土質の選び方、釉の濃度、又、酸化炎で焼成するか還元炎にするかなど全てが発色の為の過程です。貴重な疑問を受けて自分の仕事の方向性を明確に表現するこだわりを出せたかな、と此度の展示のことを思い起こしています。
練り込み四方皿
私、作家Bが金彩の制作を始めてから1年近く経ちます。
今回の展示にも金彩の作品を中心に出品しました。
技術が変わると表現も変わるので、新しい文様を試しています。
金彩耳付ぐいのみシリーズと金彩小花文急須、印花文急須
金彩小花文湯呑と金彩花文皿
左から金彩花文コーヒー碗、波文龍コーヒー碗
よくお客様に「何の花ですか?」と聞かれるのですが、具体的なモチーフがあるわけではありません。
これは金彩に限ったことではありません。色の塊や線の流れ、バランスで決まります。結果として「菊の(ような)模様」、「梅の(ような)模様」が生まれています。
失敗を重ねながら続けていると、材質と図がその模様の意図するところに導いてくれるようなところがあります。大げさなことではありませんが、何か新しいものにつながらないかと試みています。
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窯出し展の準備も大詰めに入りました。
どんな作品を見ていただけるでしょうか?
薪窯はガスや電気のように効率よくはいきません。風、湿度、薪量、薪を投入する人の体力等々、様々な条件が重なって大きな失敗もあれば初めて目にする美しいものに出会うこともできます。今回は無風と充分な赤松の支度の安心感から3の間を焚きすぎてしまいました。何度焚いても全ての部屋が成功という訳にはいきません。
今日は道に看板をつけたり、Fさんに道の草刈をお願いして車が通りやすいようにしてもらいました。窯出し展ならではの準備です。
大島窯前の登り道の入り口です。
目印の看板をつけました。
100mほど進んで、
右手に見える建物の一階が会場です。
( 吉野君のバックハンド)
5月8日正午から始まり60時間かけた今年の登り窯の焼成を終えたところです。薪割り、薪の乾燥、窯詰め、窯焚き、全て皆に協力してもらってやっと焚き上げるという窯です。特に三室半の房のうち、1の間を焚く15~17時間は若い男性の助力が必要です。これまで芸大の後輩をはじめ、心ある若い青年の何人もがこの体力の必要な汚れ役の仕事に携わってくれました。四年前からは益子焼の青年達が手伝ってくれています。今年は三回目の吉野君でした。我登り窯を「(先代は)大きなものを遺されましたネ。」と目を輝かせる青年です。この言葉は窯の維持に苦労し重く感じている私の気持ちをほぐしてくれました。吉野君のプロの火入口の投入さばきはみごとで、窯の火中を確かめながら火力を落とさぬようバックハンドで薪を投入する方法を教わりました。
(作家A)
2013年にの秋に襖絵のお話をいただき、描き上げたのは2014年の六月です。
本画に入るまではスケッチ、資料集め、画材のテスト、そして本画と同寸大の紙で一度大下図を描き、構図の修正などの準備をしました。襖絵本体は四月に吉祥寺から我が家に運び込まれました。まず春・秋の四枚をかき一か月後に次ぎの秋・冬の襖と交換して制作しました。
制作中に感じた鳥のこ紙に墨が染み込んでいく感覚は今でも鮮明です。大画面に墨で大きく描くのは気持ちのよいものです。しかし墨を安易に扱うと却って下品になり難しさも感じました。陶芸もそうですが素材は大切な要素です。素材の質感を引き出す、理解するというのは私には欠けている点だったと思います。自分の絵を見るといつも反省ばかりですが、襖絵の制作は貴重な経験でした。
「石槌山の四季」ー冬ー