作家Aは、山内達雄の追い回しをしながら、登り窯築窯当初から窯詰めをしてきました。その為に窯の中の火まわりの限定された場所に、自分の作品の場を見つけました。当初、道祖神のような庶民的祈る対象を形として求めていましたので、登り窯でないと表現出来ない子供達がうまれました。山内達雄は平成14年に亡くなりましたが、作家Bの助力を得ながら大島窯は登り窯を続けています。現在、作家Bは電気窯で金彩手の個性的な作風をつくりつつありますので、登り窯の特性はより限られていくでしょう。
作家Aは、山内達雄の追い回しをしながら、登り窯築窯当初から窯詰めをしてきました。その為に窯の中の火まわりの限定された場所に、自分の作品の場を見つけました。当初、道祖神のような庶民的祈る対象を形として求めていましたので、登り窯でないと表現出来ない子供達がうまれました。山内達雄は平成14年に亡くなりましたが、作家Bの助力を得ながら大島窯は登り窯を続けています。現在、作家Bは電気窯で金彩手の個性的な作風をつくりつつありますので、登り窯の特性はより限られていくでしょう。
山内達雄は、色絵磁器、金襴手など独創的作風で人間国宝であった加藤土師萌先生に師事しました。独立する時、自分の環境に身近だった茶陶を選びました。その為、赤膚焼の窯職人さんに依頼して越智郡朝倉村に登り窯を築きました。1974年~1994年のことです。その後1994年吉海町本庄に朝倉窯時代と同型の現在の窯を築きました。
登り窯の窯焚きは消防署に届け出を出すところから始めます。窯焚き中の気象情報は最大の関心事です。天気予報を神経質に確認することになります。此の度は10日正午から始めましたが、初日は雨でした。11日雨、12日無風の晴れで最後まで風を案ずることなく、焼成できたのでほっとしています。窯は外部に火が移る構造ではないのですが、周囲の草刈と木々の伐採は可能なところ気配りし、窯焚き後は水まきをします。焼成中は大きな煙が出るので、人家から遠く離れた場所とはいえ気を使うところです。
のぼり窯の準備を始めました。毎日エアバイクで足を鍛えてきたせいもあり、動けるのが嬉しいです。体力に覚悟のいる窯詰めの始まりです。
大学時代の友達、Kちゃんが結婚しました。クラスの友人達でお祝いをしようと、希望を聞いたところ、「大島窯の花入れ」とご指名いただきました。「大島窯の花入れ」と言えば「作家Aの練り込み花入れ」です。お花の教室で出会った二人。「剣山が2個半」入る大きさで、「何かが生えてきそうな荒野」のイメージ、そして「サプライズでOK」という言葉をもらって生まれた作品がこちらです。記念の作品に関われて嬉しいです。お幸せに!
来年の干支「猿」は可愛いと求めて下さる方もあって、ほっとしています。
あるお客様からは「ラグビーの五郎丸に似ているのもあるね」と言われました。「面白い」と私はうっかり、知人に❝次郎丸❞と伝えてしまいました。知人からは「弟分の次郎丸猿ね。」とさわやかな便りが返ってきて、作者の作家Bもニンマリしています。
(ついでながら、今年は干支をニューヨークへ送って下さるお客様があり、次郎丸猿海外デビューで、作家B再度ニンマリです。)
今年の厄が去って幸せな申年になりますよう干支に因んで願っています。
大きな作品を試みるともう少し先が見えるような気がします。見えるでしょうか。
二本の壺を乾燥中です。
師走に入って忙しさに拍車がかかってきました。
干支と同時進行で金彩の湯呑など制作中です。
予定より遅れているので押せ押せです。
これから焼成して金彩作業に入ります。
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