三次町へ-その2(浅野三次支藩御家中配置図)

この度の展示会中、森岡晋さんから、船越家所蔵絵図のうち芸藩の侍帖をいただきました。栄えた頃の三次町の成り立ちが何故か三次町の歴史を大切にしたいという自分自身の解答につながりました。年代を重ねた建物である「三次本通りギャラリーまるて」での展示会をよしとする自分の方向性、過去への憧れと夢追いがすこし見えてきました。

「三次本通りギャラリーまるて」入り口

 

三次町へーその1

窯元からタクシーで大島BSで降り、2時間半で広島。広島から1時間半で三次。故郷三次町は東京へ行くより遠く感じる所です。場所の位置関係からか歴史の厚みがそのまま残っていて、特に巴橋から先の三次町は私の好きな所です。いつも三次町の香りを届けてくださる優しい小田夫妻の三次本通りギャラリーまるてで、10年ぶり、個展を催させて頂きました。三次中学時代を共に過ごした友達の暖かさが身にしみ、三次町の文化を考える濃い時を過ごしました。また、自分自身は新たに発展する作品を創りたいという願いがこみ上げています。

三次中学校時代の同級生からいただいた花

 

荷物を送り出して

展示会前の梱包した作品荷物を写すのが恒例でしたが、撮りそこねてしまいました。仙人暮らしの今治市吉海町本庄山から、作家A、B、広島県三次市での展示会場へ出かけます。

「粉引き草文タタラ皿」

励まし

今年届いた年賀状。「もう東京で展覧会はなさらないのですか。私は春、本を一冊だせるかも、生きている限り仕事しましよう」とのお便り。かって東京藝術大学藝術学科に二人の女学生として学んだ私たち。いつも励まされています。元気なのでがんばります。

雪の日に

亡き父、太田忠は、大山にスケッチにスキーで出かけることが多く、一時雪景がテーマだったこともあります。「雪の忠さん」と呼ばれていました。降雪で町が白く覆われると、家の室内はストーブなどで雰囲気が暖かさを増して明るくふんわりしたものになったものです。

「浅い春」(30㎝×30㎝)

感無量

以前、遠路、我窯まで訪ねて下さった大学名誉教授で文学博士のHさんからのお便り。広島県立美術館50周年記念セレクション展で5000点の所蔵作品の中から秀作として父の作品も選ばれ拝見しましたとありました。彼女は広島県立美術館の学芸員在職中、収集の苦労を重ねた人です。50周年の歩みは感無量と。作家Aの芸大時代の後輩で浅からぬご縁のHさんの気持ちは卒直に伝わってきました。過って新制作展で開催された死後数年後の亡父の遺作展では、質の高かい作品集めが、一人の作家の人生を表現してあまりあるもので、今もその会場が思いだされます。歴史のふるいに掛けられ遺されていく作品の一つに亡き父の作品があることは嬉しくおもいます。