今回、大街道のギャラリータナカとロープウェイ通りの大島窯の店を行き来すると、通りの雰囲気の違いを感じます。大街道は以前程ではないですがやはり繁華街、ロープウェイ通りは観光者が多いです。父がロープウェイ通りに店を決めたのは骨董通りのような古い専門店が多い通りだったからと聞いています。今は随分変わりましたが、老舗と新しい飲食店や土産店が混在する元気な通りになっています。
今回、大街道のギャラリータナカとロープウェイ通りの大島窯の店を行き来すると、通りの雰囲気の違いを感じます。大街道は以前程ではないですがやはり繁華街、ロープウェイ通りは観光者が多いです。父がロープウェイ通りに店を決めたのは骨董通りのような古い専門店が多い通りだったからと聞いています。今は随分変わりましたが、老舗と新しい飲食店や土産店が混在する元気な通りになっています。
昨年11月の銀座ギャラリーハウスの作陶展で、新宿銀花から始めた個展は30回になりました。長い間支えて下さった皆さんのおかげですが、芸大時代の先輩後輩で毎回観に来てくれる人達がいます。その一人だった伊藤廣利さんは15回続けた京橋、クボタギャラリーの途中あたりで、芸大教授のまま亡くなりました。展示をみてくれる友のほとんどが大学教授を退官後も作品を発表し活躍していることを思うと本当に惜しまれて余りある人です。伊藤さんは個展会場に重い撮影道具持参で来られ、何時も作品を撮っていました。同期ではありましたが、技術を超えたあたたかいユーモアを表現できるセンスのある方で私は工芸の師のように敬意をもっていました。広島で作陶展をした折、依頼した文章のDMに「野の花」と云う箇所がありました。日展で活躍なさっていた伊藤さんならではの手向けの言葉だったでしょうか。
展示会の最中、作家Aの声で玄関先に行ってみると足元に真っ二つにちぎられたマムシが転がっていました。少し離れた所でいちこが平然とのびたマムシを眺めています。「いっちゃんがやったみたい。」(作家A)
その昔、作家Aが散歩中、連れていた秋田犬の芙音がマムシに噛まれるという事件がありました。その時はすぐ歩けなくなったそうです。作家Aはまだ元気だった父を呼びに飛んで帰り、 父は家まで200mはあろうかという登り道を、女の子とはいえ30㎏はある芙音を息を切らしながらおぶって帰ったそうです。幸い芙音は事無きを得ましたが、我が家の猫の中でも一番小柄ないち子。しかし本人はこちらの心配はよそに私が枯葉で隠したマムシの胴体を引っ張りだし、しかられるとプイッとどこかに行ってしまいました。 夜になってもいちこが帰らないので少々心配になりネットで「猫とマムシ」について調べたりしているところに本人が元気に帰ってきました。猫がマムシに噛まれて死ぬことは少ないようですが、何にでも例外はあります。なるべく危険なことは避けていただきたいものです。