鍛金作家、中谷昭子さんは公私共にお世話になっている大先輩です。諸事にご堪能で、以前、芸大受験前に「美大にしようか、音大にしようか」」と迷ったと話されたことを思い出します。80歳になられて初めての個展を催されたと聞きました。それまでの人並みはずれたご経験のことを思うとその生き方に感服あるのみです。
『花器k』
今年2月の「現代美術展」(今治河野美術館)の中谷さんの出品作品
「三次本通りギャラリー まるて」は
本通り角にある古い薬屋さんをギャラ
リ-にしたものです。オーナーの小田
さんご夫妻とは、作家Aが1999年
三次のベッケンビール会館で個展をし
2009年、オープン間もないギャラ
リーで作家Aの個展を催させていただ
きました。昔の商家の造りは独特で、
数多い個展をこなしてきた作家Aの会
場の中でもちょっと変わった雰囲気に
なったと思います。 スタッフとして
同行した私には、いつも手を大きく振
って見送りして下さるオーナー夫人の
貴美子さんの姿が巴橋と一緒に三次の
風景となっています。
「三次本通りギャラリー まるて」
〒728-0021 三次市三次町1495-1
℡0824-63-9349
7月17日大型台風11号が北上、四国に上陸しました。一喜一憂する夜が明けました。
一年ほど室内で鉢植えで育て、今年地植えしたいちじくの苗はおおきな夜叉五倍子(やしゃぶし)の木やクマ笹に守られ無事でした。いちじくの大好きな作家A、果実を手にするまで元気に働いているでしょうか?それはとても疑問ですが、楽しみです。
数年ぶりに作家A共々祖父母の墓参りに広島県三次市に行って参りました。
今年は三次を経由する尾道~松江の「山なみ街道」が開通しましたが、今まで通りのバスルートで行きました。
大島からしまなみ海道を渡り、
広島バスセンターで乗り換えです。
慌ただしい日帰り旅行ですが、せっかくの広島、バスセンター界隈でしばしおのぼりさんとなり喧噪を楽しんでから三次に向かいます。
往復で八時間近くかかる道。同じ山道でも大島や松山ではくるくる回る道ですが、山陽道の高速道路は延々とまっすぐです。
馬洗川、
太田川、
「七つの川」と言われるように大きな川が多いです。(馬洗川は「七つ」に含まれないそうです。)三次市も町村合併以後変わっているようですが、巴橋の先の祖父母のいた町はほっこり懐かしい様相で佇んでいました。
残念ながら合歓の木をはじめ、夾竹桃、百日紅、槿と道中の花々を高速バスから撮ることができませんでした。ようやく「ひろしま美術館」の庭先で白の夾竹桃を捉えた次第です。夾竹桃は広島の夏を象徴する記憶の花ですね。
新関公子さんが杉本公子さんだった頃、私達二人は芸術学科八名のうち、二人の女子学生だったので、よく行動を共にしていました。人間国宝になった三浦小平二さんが部長だった芸大の陶芸クラブにも二人で入ったものです。作家Aの作陶展の案内状が遅れた時など、届くのが遅かったから見にいけなっかたと不満を便りにしてくる新関さんは私の作品に最も厳しい人で、どの展示の時も容赦ありません。その彼女、一昨年優れた芸術評論に贈られる第22回吉田秀和賞を受けました。「ゴッホ 契の兄弟 フィンセントとテナ・ファン・ゴッホ」。芸術学科同級生の多くが大学教授になり今や退官しましたが、私の東京展をみに来てくれるのは彼女だけです。私の作品に対する厳しい評は、私を若い頃の自分にふとよみがえらせる力があります。「お互いもう少々がんばりましょう。」の言葉も添えてありますから。
教官室で使ってくれていたという粉引手草文碗
今回、大街道のギャラリータナカとロープウェイ通りの大島窯の店を行き来すると、通りの雰囲気の違いを感じます。大街道は以前程ではないですがやはり繁華街、ロープウェイ通りは観光者が多いです。父がロープウェイ通りに店を決めたのは骨董通りのような古い専門店が多い通りだったからと聞いています。今は随分変わりましたが、老舗と新しい飲食店や土産店が混在する元気な通りになっています。