亀の行方

今冬、島では降水量が少なく、ダムの水量を心配する話題がのぼります。我窯の池も、当地開窯以来さだかな記憶に残っていないほどの浅さになりました。出逢っていた池の子亀達が見当たりません。

 

「亀の箱」

心に刻む

1983年「銀花コーナー新宿」で初個展を催してから2014年の「銀座ギャラリーハウス中澤」で終えるまで、作家Aは東京での個展を毎年一、二回続けました。特に2002年山内達雄が死去後は生活の為必要な個展でした。来訪者に進歩を観ていただきたく、新作を展示することが自分に課する義務と信じて対応してきました。その頃、私のような未熟者ではなく、精神のバランスのとれた暖かい印象のМさんにお会い出来ました。此度「現在どんな状態であっても自分自身と向き合った時、私の人生はこれでよかったと納得して終わらせることが、とても大事なことではないかと此の頃思うようになりました。」と九十三才のお便りが届きました。生きる勇気をいただいたようで励まされています。

化粧の生掛け

島も寒気到来、冬の厳しさを感じる日々です。マグカップなどのろくろ引きをして久しぶりに化粧釉の生掛けを試みています。弱還元炎の窯を詰め切るまでには次々とつくる準備が控えていますが、しばらくぶりの技法が新鮮な気持ちにさせてくれます。

 

 

 

新関公子さん

芸大生の頃、芸術学科のクラスには二人しか女子学生がいなく、やきものやになった作家Aと、芸大教授から美術史を続ける新関さん、仕事が違っても励まし合う二人です。岩波書店の「図書」と云う月刊誌に秋ごろから東京美術学校の歴史を西洋と日本の出会いと葛藤という観点から連載することになり準備中と、以前お便りをいただいていました。12月23日、第一回が出来たと送ってきました。「15回位書く予定で終わるまで生きていなければ!」とありました。論を書き上げるには何より体力がいります。作家Aも学生時代、一年以上かけてグロピウスのバウハウスを卒論のテーマにし、提出時へとへとにくたびれ果てたことを思い出しました。新関さん、健康に気を付けてがんばって。

2022年の紅葉

我窯では12月に入ってかえでがオレンジ色に紅葉しています。連立するかえでの中で、特に鮮やかに赤く紅葉する大木がありみとれてしまいます。ところで先頃、遠縁の書道家から「晏如(あんじょ)」と云う言葉が届きました。(安らかで落ち着いた)の意で、来る年が争いなどなくと、言葉が添えられていました。その時にこそ出会いたい紅葉の美しい一シーンです。

何時ものことながら

窯元での会場準備は看板の下見から始まります。此度も来年が少しでも明るい年になってほしいと願いながら干支づくりに明け暮れてきました。山中の窯元です。手造りの看板が皆様の無事の到着にお役に立つと嬉しいです。

新聞のおみやげ

恒例の干支展(11月下旬)の準備に明け暮れしているうちに、金木犀も香りを感じただけで日が過ぎています。今は世情の問題が重なっているので、月日の過ぎるのも格別なのかもしれません。松山から毎週持ち帰ってくれる作家Bのおみやげ、新聞の束を読みながら…。そんななか、久しぶりに朝日新聞の「おやじのせなか」で谷本道哉さんの父上、英米児童文学研究者の誠剛氏の「町の文章教室」の紹介が面白そうで読みたくなっています。

素焼きを待つ干支たち

 

想い出の時間と花

山茶花は赤、紅、白と我が窯の庭では何気なく咲く何気ない樹です。今朝、早くも沢山の一重の白い花をつけている山茶花が1本目にとまりました。朝倉窯時代、玄関脇にあった木を移動したものです。此処大島窯であの過ぎた時間の想い出を運んでくれているようで、見入ってしまいました。